「月は二度、涙を流す」そのN


8 それから

「いやぁ、なかなか楽しかったよ」
 昇は高揚した気分でそう言った。手には猟銃が握られている。その銃口の先に、一人の少女がいる。全裸で、走り続けている。
 草原は快晴だ。時折吹く風が、草花を左右に揺らしている。大空を鳥が舞い、太陽は雲という名の衣を着て、流れる時の中で眠っている。
 昇は含み笑いを繰り返しながら、草原の中を歩く。
「光は、望に抱かれている時、こう言ったよな。飛ぶ鳥が落ちてしまう事も、よくあるって」
 辺りに人影は無い。その言葉などとても届かない程の遠くに、一人だけいる。
 昇は独り言のように、呟く。
「まったくその通りだな。飛ぶ鳥なんて、いつ落ちるか分かったもんじゃない」
 空に向かって、引き金を引く。腹の底にまで響くような銃声が、草原を駆け巡っていく。
「でもな、落ちる理由は色々あるんだ。確かに何気無い石ころの場合もあるだろう。でもお前の場合は、ハンターの銃で、落ちるんだ」
 口の端にくわえられた煙草の灰が、ポトリと草原に落ちる。
「しかし、あれだな。本当に上手い具合いに事が進んだもんだ。俺がわざわざ手を下すのがお前一人だけでいいとは、流石の俺も考えていなかった」
 昇は遠くを見据え、銃を構える。
「俺がやった事は、屋敷中に盗聴器を仕掛ける事と、地下室の扉を開ける事だけだった。真一郎や恵美は合鍵なんて作れない、と思ってたみたいだが、まさか自分達が使っていた物こそ合鍵だなんて、考えてもいなかっただろうなぁ」
 銃の先に一羽の鳥が止まる。昇は引き金を引くのをやめて、ちょこまかと動く鳥の顔をじっと見つめた。
「まったく、俺のいない間に随分と勝手な事をしてくれたもんだ。しかも、あれは全部俺の金だとか? 本当に腹の立つ奴らだ。あの色ボケ女が連れてきた女だったから、どこか怪しいとは思っていたけどな」
 鳥は真っ黒い瞳をクリクリさせて、昇を見つめる。その視線に昇はにんまりと笑みを返す。
「あの女も悪くはない女だったが、少し頑丈すぎた。あいつは完全に俺の物にはならなかった」
 しばらくして、鳥は羽をはばたかせて、どこかに飛んでいった。昇は姿の見えなくなった人影を探して、走りだす。
「お前に一言言いたい事がある。よおく聞け。俺はな、自分の思い通りにならない奴は大嫌いなんだ。誰のお陰でリッチな生活が出来ると思ってるんだ? 全部、俺のお陰だ。何もかも俺の努力のお陰なんだ」
 草原に響き渡る昇の叫び声。
「俺はな、光と清美だけいればよかったんだ。だけど、清美の奴は俺の許可無しに勝手に病気なんかで死にやがった。だけど、俺にはまだ光がいた。この際、あいつだけでもいい。ところがだ。望が事もあろうに光を愛しやがった。あのバカ息子め。自分の妹、好きになるなんてバカにも程がある」
 昇の視界に次第に人影が見えてくる。
「お前は本当によくやってくれたよ。まさか望まで殺ってくれるとは思ってなかった。本当によくやった。全部終わったらお前は市場に戻そうと思ってた。俺からのせめてものお礼のつもりだった。でもだ」
 人影がゆっくりと大きくなる。昇は銃を構える。左腕に銃弾がめり込まれている為、右腕で構える。
「お前は光を愛しちゃいけないんだよ。あいつはな、俺のもんだ。身も心も俺の物だ。誰にも渡さない。絶対に渡さない」
 人影が草むらに隠れる。いや、隠れたのではない。倒れたのだ。昇が駆け寄る。その人影は荒く息継ぎをしながら、昇の方を見つめる。
「痛かったぜ、この左腕の一発は。光が引いた銃から出た弾だから、大して痛いとは思わないけどな。でもな、そう仕向けたお前は許さない。だからお前は死ね、舞夜」
 昇は銃を倒れた舞夜の額に押し当てた。舞夜は大きく目を見開き、昇の愉悦に満ちた笑顔を見据えている。それを見た昇は、また含み笑いをした。
 その昇の殆ど動かない左手には、屋台で売っているような、安物のアニメのお面が弱々しく握られていた。
「最後に一言、言ってやる」
「‥‥」
「藻掻くだけの鳥が空を飛ぼうなんて、そんな大それた希望は持っちゃいけない」
「‥‥」
「持った分、絶望するだけだ」
 そう言って、昇は引き金を引く指に力を込めた。
                                                            終わり


あとがき
大学時代最初に書いた長編小説。若い時はバイオレンスやら、セックスと言ったモノに興味があるものですが、私はそれが現実ではなく、小説に向かっていました。それがこの作品です。大元はとあるPCゲームをやっていて思いついたものですが、もっとエグくして、ドローンとした感じにしようと思って書いていました。ちなみに当時まだ経験はありませんでしたけど。今はこの程度の情報はネットで簡単に調べられるんですよね。もっとも、私が参考にしたAVでしたけど。
おそらく、こういう作品はしばらくは書かないと思うので、ある意味貴重と言えるかもしれません。


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